Q.舞台化に続き、『娼年』の映画化が実現しました。リョウは身も心も脱ぎ捨てる覚悟が必要となる役となり、松坂さんがオファーをどのように受け止めたのかが気になるところです。舞台も含め、この役を「やらない」という選択肢はありませんでしたか?
ないですね。むしろラッキーだなと思いました。この原作は10年以上前に書かれたものですが、聞いた話によると、何度か映画化の話が持ち上がり、そのたびに沈んでいくという繰り返しがあったそうです。今このタイミングで僕にお話をいただいたことは、本当にラッキーだと思っています。ちょうど「20代後半からは、様々な色の作品をやっていこう」とマネージャーさんとも話していたところだったので、『娼年』は自分にとっても、30代に向けてすごくいい経験になるし、今後、この仕事を続けていくためにもやらなければいけないと思いました。
Q.ハードな性描写とともに、リョウという一人の男性の成長も丁寧にすくい取った映画です。演じる上では、ご苦労もあったのではないでしょうか。
舞台を終えたときに、三浦監督も僕も完全燃焼した部分があったんです。それを再び、しかもまったく新しい映画の状態でやるというテンションに持っていくのが大変でした。映画化の話が出てきたときには、監督と飲みに行って「やりますよね?」と意志の確認をし合って(笑)。監督は「舞台とは違った、より高いハードルを設けたい」とおっしゃっていました。映像だと、リョウの成長過程や肉体のコミュニケーションももっと繊細に見せることができます。そこではより奥深いお芝居が要求されますし、スケジュールも朝から夜中まで続くような撮影で、メンタル的にも体力的にも削られていきました。
Q.ドラマ『ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編』のクランクアップから、1日半後に本作の撮影は始まったそうですね。“童貞”の山ちゃんから“娼夫”のリョウへと、どのように変身されたのでしょう。
一度、舞台でリョウを演じていた経験があったので、それが大きかったのかなと…。ベースラインができた上で現場に臨むことができたので、リョウに向かってテンションを上げていくスピードが速かったんじゃないかと思います。監督も舞台と同じ三浦大輔さんだったので、信頼関係もありました。正直いうと「またか!」と思ったんです。実は以前も、『ゆとりですがなにか』の連ドラの撮影が終わったあと、あまり間をあけずに『娼年』の舞台稽古が始まったんです。なので、その部分での免疫はできていました(笑)。
Q.撮影中、テンションを保つために大事にしていたことはありますか?
三浦監督とも「ようやくこれで『娼年』が完成する」という話をしていたのですが、その一心で取り組んでいました。『娼年』の撮影を乗り切るポイントは、スイッチをオフにしないこと。僕の場合、家に帰るとスイッチが完全にオフになってしまうので、今回の撮影期間は、渋谷のビジネスホテルに泊まり込んでいました。明日のことを考えながら帰り、明日のことを考えながら風呂に入り、明日のことを考えながら寝る……。微妙なオンの状態のまま撮影を続けていたので、本当にキツかったです(苦笑)。