ココヤシの果実から作られる「コプラ」は、1899年から第二次世界大戦前まで、グアムの主要輸出品として経済を支えていました。
当時、グアムと日本を結ぶ重要な貿易品として知られ、土地の価値さえもココナッツの栽培数で評価されるほどでした。グアムに渡った日本人実業家たちが大規模なプランテーションを展開し、マーガリンや石鹸の原料として日本へ輸出。
コプラとは何か、どのように貿易を発展させたのかを見ていきましょう。
コプラとはココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの

▲ココナッツの胚乳
コプラとは、ココヤシの果実の胚乳(はいにゅう)を乾燥させたものです。原材料として、石鹸やマーガリン、オイル、ろうそく、植物油などに加工されて使用されます。
ココナッツの外側は非常に固い皮で覆われており、その中身の多くは「胚乳」で占められています。胚乳は「固形胚乳」と「液体胚乳」に分かれ、固形胚乳は下の画像のような白く固まった部分、液体胚乳は中にある液体です。

▲白い部分が固形胚乳、中には液体胚乳が入っている
この固形胚乳を乾燥させたものこそが「コプラ」です。第二次世界大戦以前のグアムの主要産品でしたが、今日においても、化粧品や石鹼などの原材料に使用されています。
コプラの貿易でグアムは栄え、日本人も多く関わってきた
第二次世界大戦以前ではコプラはグアムの主要産品として位置付けられており、輸出が盛んに行われていました。
1899年~1941年、スペイン領からアメリカによって占領され、領地となっていた期間、グアムの経済は徐々に発展していきました。アメリカ海軍による統治は農業にも変革を与え、その1つとしてコプラの取引が関係していました。ココナッツオイルを抽出できるコプラは商業や工業など様々な用途で使われ、経済発展に寄与します。
19世紀、グアムの現在の首都であるハガニアでは、富裕層が豊かな土壌に着目して土地を買い上げます。買い上げた土地ではコーヒーやアボカドのほか、コプラの農作物も栽培されていました。100ポンドの袋にコプラが詰め込まれグアムから出荷されており、「コプラ経済」が生まれました。
当時、アメリカ海軍は固定資産税の測定に際し、その土地から栽培できるココナッツの数で土地の価値を算定していたほどです。

▲第二次世界大戦以前にコプラが製造されていた様子(画像引用:Guampedia)
19世紀半ばには、主要産品のコプラの大半は日本に輸出されており、日本でも石鹸やろうそく、マーガリンなどの製造に役立てられていました。石鹸やろうそく、椰子油などは日本に輸出されています。
南洋貿易の一環としてコプラ貿易に参入するため、日本人がグアムに適した土地を買い上げ、日本に向けたコプラ貿易で収益を上げます。購入した土地で自ら農園を作り、コプラの栽培をした方もいるほどでした。
日本人で初めてコプラ貿易を始めた人として、Katsuji Shimizu(清水カツジ)さんが有名です。茨城県で生まれた清水氏は、サイパンでコプラの貿易貴社で支社長としてビジネスを展開した彼は、グアムに移住してビジネスを進出。チャモロ人から土地を購入し、グアム島南東部に最大規模のコプラ農園を開いて日本へ輸出していました。
なお、彼の子孫であるフランク S.N. シミズ氏(Frank Shimizu)は「グアム日系協会(Guam Nikkei Association)」の設立に貢献し、日系社会の福祉向上や日米間の友好に貢献したとして、2021年に”旭日単光章”が授与されています。
現在では、コプラの存在は第二次世界大戦以前ほど輝いているものではありません。第二次世界大戦後のグアムは軍事基地の整備などに伴い農業は衰退していき、現在ではアメリカ本土から多くの食品を多く持ちこんでいる状況です。
農業の反面、リゾート開発が成功したグアムは、今やアメリカや日本、韓国などから多くの観光客から訪れる南国リゾートとして人気を誇っています。
※出典:広島大学総合化学研究科 西佳代『アメリカのアジア太平洋地域に対する 軍事的関与の構造』、グアム日本人会公式サイト『フランク S.N. シミズ 氏 “旭日単光章” 受章!』
ココナッツはコプラ以外にも使い道が豊富、ココナッツウォーターや食用にも

▲ココヤシ(果実がココナッツ)
グアムには、ココナッツの果実ができる「ココヤシ」が多く自生しています。
ココヤシ(学名:Cocos nucifera)は熱帯地方を原産とする、ヤシ科の常緑高木です。樹高は大きいものだと約30メートルもの大きさになり、幹はまっすぐではなく斜めに伸びているのが特徴です(よく勘違いされがちですが、ココナッツができるのはヤシの木ではありません)。
特に、マリンアクティビティや食事などを楽しめるグアムの離島、ココスアイランドリゾート(2025年2月時点で無期限休業中)では、自生したココヤシが多く見られます。
ココナッツは「捨てる部分がない」と言われるほどの万能果実です。たとえば、冒頭で説明した液体胚乳は、いわゆる「ココナッツウォーター」です。観光名所や地元のイベントなどでは、そのままココナッツからココナツウォーターを楽しめるようになっています。味は少し薄めのスポーツドリンク、といえば伝わりますでしょうか?

▲ハガニアのスペイン広場周辺で飲んだココナッツジュース
また、コプラとして使われる固形胚乳は食用にもなります。筆者もココナッツの固形胚乳を食べたことがありますが、見た目も味わいもイカの刺身のようです。わさび醤油などと合わせて頂くと、とてもおいしいですよ。
なお、ココナッツの固形胚乳は熟してしまうと固くなり、刺身としては食べられなくなってしまいます。

▲ココナッツの中身はまるでイカの刺身のような味わい
そのほか、お土産にもうれしいココナッツチップスのお菓子や、ココナッツのデザインをあしらったハンカチなども販売されており、島内の至る場所でココナッツと触れる機会がります。今ではコプラを見かけるのは難しいかもしれませんが、グアムを支えてきたココナッツに一度は触れてみてはいかがでしょうか。
まとめ:コプラからココナッツへ、変わりゆくグアムの名産品
グアムのコプラ貿易は、19世紀末から第二次世界大戦前まで、重要な経済活動を担うものでした。
アメリカ統治下で発展し、特に日本との貿易では主要な輸出品として栄えました。現在では観光資源としてのココナッツの活用が主流となっていますが、その歴史はグアムの経済発展と日本との関係を語る上で欠かせない要素といえます。
今やグアムでは、観光名所やオプショナルツアーなどで、新鮮なココナッツウォーターやココナッツの料理を楽しめます。日本から約3時間半で行くことができる、時差がたったの1時間である南国リゾートのグアム、ぜひ休日などに訪れてみてはいかがでしょうか。