日本から約3時間半で行くことができる南国リゾートのグアムには、観光客がリゾートライフを楽しめる場所が多くあります。その1つが、グアム南部にある離島、ココス島です。
2025年2月時点で長期休業中のココス島ですが、ココス島の沖には沈没船があり、その船には10億ドル以上の財宝が眠っていると言われています。しかし今日に至るまで、その財宝は見つかっていません。
なぜココス島に沈没船があるのか、また10億ドル以上の財宝が見つかっていない背景などを今回見ていきましょう。
目次
ココス島はグアムの離島、ビーチ遊泳やアクティビティを楽しめる(2025年2月現在休業中)
ココス島(ココスアイランドリゾート)は、グアム南部にある離島です。グアム観光の中心地・タモンから南方向に車で約50分進んだメリッソに行き、そこから船で約10分移動すればココス島に到着します。
ココス島には白いサンゴ礁のビーチが続き、島内には自然の美しさが残された南国ジャングルが広がっています。
ビーチの遊泳やマリンアクティビティなど、ビュッフェ形式の食事を楽しめる観光客にとって人気の離島でしたが、2025年2月現在、長期休業中となっており、関係者以外は立ち入りできません。
なお、ココス島のジャングルにはパパイヤなどの観葉植物が自生しており、野鳥や動物などが生息している美しい島です。グアムの絶滅危惧種であり、グアム政府観光局のマスコットキャラクターにもなっている「ココバード」の保護地に指定されています。
参考:グアムのココバードを知っていますか?絶滅から救うべく、懸命に守り抜く固有種に迫る
スペイン統治時代のグアムは貿易の中継地だった
時は1690年、当時グアムはスペインの統治下にありました。1565年、スペインの征服者であるミゲル・ロペス・デ・レガスピが来島し、スペインがグアムの領有を宣言します。以降、1898年にアメリカがグアムを領有するまで、333年間グアムはスペイン統治時代を過ごしています(この時代の名残として、グアムにはスペインの文化が色濃く反映された観光名所や建造物などが見られます)。
当時、グアムはスペインとフィリピン(マニラ)の貿易中継地として重要な役割を担っていました。
スペイン統治時代、グアムにはスペインのガレオン船の寄港地でした。ガレオン船とは、16世紀半ばから18世紀に使われた大型帆船です。遠洋航海術が発達した大航海時代のスペインで開発された帆船で、貿易や布教に役立ち、当時のスペイン経済を大きく支えます。
メキシコのアカプルコからガレオン船が出航し、グアムを経由したのち、フィリピンのマニラに向かう貿易が盛んでした(この貿易を「ガレオン貿易」と呼んでいます)。
同じくスペイン統治時代にあったフィリピンのマニラはアジアの重要な貿易中心地でした。中国の商人が持ち込んだ中国船がもたらす絹織物や陶磁器を、ガレオン船でメキシコに運び込んでいたのです。
中国商人から絹織物などに対する対価として、メキシコ産の銀貨を使っていました。南米のポトシ銀山で採掘された銀で、スペインがアジア貿易の決済手段として頻繁に用いるようになり、ガレオン船は銀貨の輸送としての役割も担っていました。
このようにガレオン船が当時の貿易を支えていた時代に、ガレオン船の1つ「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ピラール号」がフィリピン諸島に向かう途中、グアムの沖で沈没したのです。
スペインのガレオン船がココス島に座礁、10億の財宝が海の底に?
1690年3月20日、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ピラール号はアカプルコを出航し、同じ年の6月2日にグアム島の目前まで到着しました。
この船はカカオ豆や石鹸などのほかに、150万枚~200万枚のメキシコ産の銀貨も輸送していました。1箱あたり2500~3000枚を詰めて、船底に保管していました。実は大量の銀貨を船の低い場所に保管することで、ガレオン船の航行を安定させる目的もあったのです。
しかし、この船は強い西風に見舞われ、ココス島の岩礁に座礁してしまったのです。ヌエストラ・セニョーラ・デ・ピラール号の重さは300トンとも言われていましたが、船底は裂け、船は急速に沈んでしまいます。
当時、この船には100人の兵士と強制労働者が乗船していたと言われています。乗船していた人たちの多くは救助されましたが、急速に船が沈没したため、積み荷の多くは救出できませんでした。10億ドル以上の財宝とともに、ココス島の近くで沈んでしまったのです。
この150万枚~200万枚の銀貨は、1991年時点で10億ドル以上の価値があると言われています。これは、フィリピンに都市を建設するのに十分な銀の量と言われるほどでした。
参考:グアムのチャモロ文化を深く知ろう! チャモロ人が育んできたチャモロ文化に触れてみよう
10億ドル以上の銀貨は今も見つからず
時は1989年5月まで進みます。フィリップ・マスターズ氏は、4000万点以上の文書を保管している「インディアス総合文書館」で調査を行うため、スペイン南西部にあるセビリアに訪れていました。調査中、埃を被っていた文書の中から、1冊の本を見つけました。
その本は太い糸で束ねられていた厚めの本で、フィリップ・マスターズ氏の目にふと留ったものでした。彼がその本を開いてみると、彼はこの本に魅了されることに。
その内容は、スペインの貿易ガレオン船「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ピラール号」に関する公式調査の記録でした。文書には、この船が沈没された事象や原因が明確に記載されていたのです。
この文書を見たフィリップ・マスターズ氏は、このガレオン船を引き揚げようと考えます。そして「Pilar Project(ピラールプロジェクト)」というプロジェクトを立ち上げ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ピラール号の引き揚げ作業を開始しました。
International Livingによると、ダイバーが水深約120フィート(約36メートル)の場所に潜り、150万枚以上の銀貨探しの作業を行っていたようです。長時間水中にとどまる必要があり、過酷な作業であったことがうかがえます。
調査開始から10年が経った2001年、2000以上の遺物が発見されました。遺物には船体や砲弾、マスケット銃、オリーブ壺の破片、バラスト(船底などに積む重し)の石などが発見されています。
一方で、銀貨については、今日に至るまで100枚すら回収できていません。プロジェクトに多大な資金をかけた結果、メキシコ産の銀貨が発見されたのはたったの36枚で、なんと150万枚以上の銀貨は姿を消していました。
ココス島の海底にはガレオン船はあるのに、10億ドル以上の硬貨は出てこない...。いまだに、この大量の銀貨の行方は謎に包まれています。
海に眠る歴史のロマンと未解決の謎はいつか解決されるのか?
グアム南部のココス島の海底には、いまだに10億ドル以上の価値がある財宝を秘めたガレオン船が眠っています。300年以上前に沈没したヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール号は、スペイン統治時代の貿易の証人であり、現代まで続く宝探しの物語の主役となっています。
懸命な探索にもかかわらず、150万枚を超える銀貨の大半は発見されておらず、真相は謎に包まれたままです。いつの日か、海の底に眠る300年前の財宝の謎が解き明かされる日が来るのでしょうか?
※参考文献
- ・世界史の窓『ガレオン船/ガレオン貿易』
- ・Todoavante.es『Galeon de Manila 1689-1690』
- ・Guampedia『Spanish Coinage in Guam』
- ・『Pilar - The Spanish galleon with a billion secrets…』
- ・長崎大学多文化社会学研究科 石橋春奈『スペイン・ガレオン船の沈没船について』
- ・International Living『International Living』