GLAM Editorial

【GLAMなオトコ】Vol.27 パラアスリート界に現れた異色の新星。井谷俊介が語るパラスポーツの可能性とは?

Q. そういった前向きな考え方が井谷さんの強みでもあるように思いますが、とはいえ競技を始めた最初の頃は大変だったのでは?

それはありました。まず、陸上競技用の義足ってすごく高価なんですよ。ピンキリですけど、一足で100万円以上かかるものも多い。そこのハードルが高かったです。

実は大学時代はカーレースにもかなり熱中していて、事故後もまずはカーレースで活躍しようという気持ちが強かった。そんな中で、義足になって1年ほど経った大学4年生の時にアルバイトをしていたレース場のお客さんの伝手で、レーシングドライバーの脇阪寿一さんと知り合うことができたんです。それで、脇阪さんに「カーレースもやりたいけど、陸上で東京パラリンピックも目指したいんです」という話をしていたら、脇阪さんのお知り合いに陸上競技関係の方がいて。それで「もし東京に出たいなら、(出場権獲得まで)あと2年しかない。いますぐ陸上をやらないと間に合わないよ」という話をされたんです。

そこで、そこから1年間は脇阪さんのレースの現場で、お手伝いをさせて頂きながら自分の人となりを知ってもらって、競技用義足の支援もして頂くことになったんです。それで2017年11月に義足が完成し、2018年1月から本格的に競技を開始し、同年5月に競技大会デビューしました。

Q. なるほど、脇阪さんの支援もあって競技を始めることができたんですね。しかし、そこからの成長は凄まじいものがあります。急速に記録が伸びた理由はどこにあるんでしょうか。

陸上競技の素人だったので、何でも学びたい、吸収したいという状況で、スポンジみたいな状況だったのがよかったのかもしれません。変な癖とかがなかった。例えば自分で基礎を作ってしまっていると、基本的なことを教えられたときに「いや、でもこれはこうなんです」という風に自分流を変えられないと思うんです。でも、素人だったからこそ、全部すんなり「なるほど」と受け入れられました。

Q. 変に予備知識がなかった分、吸収するのも早かったんですね。

そうですね。あとは周りの人に恵まれたというのが一番大きかったかなと。脇阪さんはもちろん、ご紹介頂いた仲田健トレーナーの存在も大きいです。それこそ、いまある環境がそっくりそのまま同じ状況だったとしても、周囲の人が別の人たちだったら、これはまた違ったのかなと。やっぱり周りにいる人がいまの人たちだからこそ、ここまで成長できたのかなと思います。

みんなすごく熱い人たちで、本当に家族のようなんです。優しい時は本当に優しいですけど、怒られるときは怒られるし、本当に脇阪さんも仲田さんも、2人とも自分の父親の様な存在ですね。

Q. トレーニングは、いまはどんな形でやっているんでしょう。また、オフの日の過ごし方はどんな感じなんでしょうか。

いまは週2日がウエイトトレーニングで、3日がランのトレーニングです。結構ばらつきもあるんですけど、基本はそれでやっています。メニューはトレーナーさんと相談しながらですね。最近はオフの日に取材が入っていたりで、なかなか本当に何にもない休みというのが無いんですけど、家の近くの商店街にコーヒー飲みに行ったり、自転車乗ったりして、ぶらぶらしています。普段が練習に行って、義足の調整に行って……とせわしなく動くことが多いので、完全オフの日は家でNetflixとかAmazon primeとか見て、ゆっくり過ごしていますね。

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