GLAM Editorial

2024.02.03(Sat)

グアムのチャモロ文化を深く知ろう! チャモロ人が育んできたチャモロ文化に触れてみよう

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美しい海や豊かなマリンスポーツで知られる南国リゾートとして知られるグアムには、4,000年以上前から続く文化「チャモロ文化」を継承し大切にしている、伝統ある場所としても知られています。

 

アメリカ領のグアムは、チャモロ人という昔の先祖から続く人種が島内でもっとも多くを占めており、古代からのチャモロ文化は今もなおグアムに深く根付いています。そして、このチャモロ文化は今日、グアムでも手軽に体験できるものになっています。

 

そこで今回、グアムのチャモロ文化について深掘りしていきましょう。チャモロ文化を詳しく知りたい方、グアムでチャモロ文化を体験したい方は、ぜひこの記事を参考にしてみてください。

 

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グアムはチャモロ人を含めた多民族で構成されている

グアムに旅行すると、よく「チャモロ」という言葉を耳にします。

 

グアムの先住民は「チャモロ人」と呼ばれています。チャモロ人の起源は不明な部分が多いものの、考古学資料や言語などから推測するに、紀元前3000年~2000年頃に、フィリピンやインドネシアなどを経由してきた東南アジア系人種が祖先と言われています。

 

グアムの人口は約17万3,000人(2024年1月時点)で、2021年2月時点で、グアムには37.3%がチャモロ人、26.3%がフィリピン人、その他にはアメリカ人や中国人、韓国人、日本人などが住んでいます。

 

このように、チャモロ人だけでなく多彩な民族の方が住んでおり、食やイベントなども多様化しているのがグアムの大きな特徴です。

グアムのチャモロ人の変遷

かつてグアムで暮らしていた先住民のチャモロ人は、今のグアムでは約3割程度で、ほかにもフィリピ人やアメリカ人、アジア人などが多数住んでいます。なぜ、グアムは多彩な民族の方が暮らすようになったのでしょうか?

 

グアムが多民族の島になった理由には、過去のスペインやアメリカ、日本による侵略の歴史が関係しています。チャモロ文化を知るには、グアムの歴史を知ることが欠かせません。

 

グアムは現在に至るまでの歴史は、大きくわけると次の5つに分類できます。

 

  1. 古代チャモロ時代
  2. スペイン統治時代
  3. 第1アメリカ統治時代
  4. 日本統治時代
  5. 第2アメリカ統治時代(現在)

古代チャモロ時代

グアムの先住民、チャモロ人が暮らしていた時代が「古代チャモロ時代」です。チャモロ人は文字をもたず、漁などをして生計を立てていました。出自など不明な部分が多いですが、チャモロ人は高度な文化を形成してきたと言われています。

 

古代チャモロ時代は、900年~1500年頃の「ラッテ期」と、それ以前の「先ラッテ期」の2つにわけられます。このうち、ラッテ期には謎に包まれた石柱「ラッテストーン」が作られています。

 

ラッテストーンとは、ハリギと呼ばれる高さ1.5~2メートルの石柱の上に、タサと呼ばれる頭石(キャップストーン)がのっている巨石です。こけしのような形をしているのが特徴で、現在では、ハガニアにある「ラッテストーン公園」でラッテストーンを間近で見ることができます。

 

グアムのラッテストーン公園

▲1956年にメボ村から移設され、現在は観光客がアクセスしやすい場所に位置している

 

ラッテストーンは、今のグアムの象徴となっています。グアム旗にはラッテストーンのロゴが入っており、またグアム国際空港でもそのデザインを多く見られます。空港に立ち寄る際は、ぜひラッテストーンのデザインを探してみてください。

 

実はこのラッテストーン、何の用途で作られたものなのか、現在でもわかっていません。宗教的な意味合いや家の土台、有権者のお墓などと推測されていますが、その実態は未だ謎に包まれています。ラッテストーン公園では目の前でラッテストーンを見られるので、ぜひ一度見に行ってみてください。

スペイン統治時代

高度な文化を形成しつつ、漁などで生計を立ててきたチャモロ人は、1521年に大きな転機を迎えます。それが、ポルトガルの探検家・マゼラン来島です。

 

1521年3月6日、スペイン国王の命令で世界一周の航海をしていたマゼランが、3隻の船団を修理するために立ち寄ったのが、このグアムです。マゼランの発見が、ヨーロッパとグアムの初めての接点となりました。

 

チャモロ人が野菜や水などをマゼラン一行に渡す代わりに、マゼランらは鉄を与えました。初めてヨーロッパの文化を目にしたチャモロ人は、マゼランの来島にさぞ驚いたことでしょう。

 

マゼランの来島によってグアムは西洋に知れ渡り、1565年にスペインの征服者であるミゲル・ロペス・デ・レガスピが来島し、スペインがグアムの領有を宣言。以降、333年間に渡りスペインの統治が始まりました。スペインの統治時代が長く続いたため、今のグアムにもその文化は深く根付いています。

 

現在のグアムの宗教であり人々の心の支えになっているカトリックも、このスペイン統治時代に広められたものです。1668年、スペイン出身の神父サン・ビトレスが、護衛の軍隊とともにグアムへ来島します。これを機に、1万人以上ものチャモロ人がキリスト教へ改宗したのです。

 

しかし、布教が原因で、次第にチャモロ人と衝突を引き起こすようになります。身分制度を重視するチャモロ人が身分の高い人と低い人で同じ洗礼を受けることや、先祖崇拝を禁止するカトリックに対し、次第に反発していくようになります。

 

そして1672年、グアムで神父サン・ビトレスは、酋長マタパンの妻が出産した幼児に、マタパンの意思に反して洗礼を強行しました。これに反発したマタパンらがサン・ビトレスを殺害したことをきっかけで、グアムを含むマリアナ諸島で「スペイン=チャモロ戦争」が勃発。

 

20年以上に渡って、チャモロとスペインの間で戦争が続きます。スペイン=チャモロ戦争により、1695年にチャモロ人が降伏した時点で、推定で5万人以上いたチャモロ人が5千人まで激減しました。

 

また、戦争の結果スペインの圧政は強化され、統治のためにフィリピン人がグアムへ送られ、混血が進みます。これが、現在のチャモロ人の直接の祖先であり、また「現在では、純粋なチャモロ人は存在しない」と言われています。

第1アメリカ統治時代

1898年、スペインの植民地であったキューバを巡り、また世界中に植民地を作ったスペインの覇権を奪うため、アメリカはスペインに戦争をしかけました。これが「米西戦争」です。

 

米西戦争によって、スペイン領であったグアムもアメリカの砲撃に遭います。たったの4か月でスペインが大敗を喫し、同年に締結されたパリ条約によって、アメリカはグアムを領有することになりました。

 

第1アメリカ統治時代では、グアムはアメリカ海軍の石炭補給および通信連絡の拠点としての役割を果たします。スペイン統治時代と比べるとグアム住民は穏やかな日々を過ごしており、自由に生活を営んでいます。また、アメリカ海軍の改革により、グアムでは農業や教育、公共事業などが発展しました。

 

ただし、グアムはアメリカ領有であるものの、住民にはアメリカ国籍が認められることはありませんでした。この時の名残りは現在でも続いており、現にグアムは今も州より自治権の弱いアメリカの「準州」となっています。

 

参考:なぜグアムはアメリカ領なの?歴史や文化、法律について紹介!

日本統治時代

1941年、ハワイの真珠湾攻撃を機に、日本軍はハガニアにある知事公邸を選挙岸、グアムを領有しました。そこから約2年7か月に渡って日本軍のグアムを統治し、チャモロ人に強制労働を課したり、日本語を強要したりします。

 

しかし、グアム住民はアメリカに忠誠を誓っており、日本語を話せたチャモロ人はほとんどいませんでした。

 

日本統治時代の名残で、日本の食文化が現在のグアムにも影響を与えています。グアムの伝統料理「チャモロ料理」の主食は米で、日本統治時代に「日本政府により労働移民としてグアムに来た日本人が、水田稲作を始めた」ことがきかっけと言われています。

 

また、チャモロ料理の基本調味料である「フィナデニソース」は、醤油などがベースになっています。

第2アメリカ統治時代

世界は第二次世界大戦に突入すると、1944年、アメリカ海軍は日本軍の領有下にあるグアムを奪取するために来島し、島は戦場と化します。3週間にも及ぶ激戦の末、アメリカ海軍は日本軍に勝利し、再びアメリカの統治に入ることになりました。

 

そして現在に至るまでグアムはアメリカ領であり、州よりも自治権の弱いアメリカの「準州」となりました。現在ではアメリカの重要な軍事拠点の役割を果たすととともに、リゾート地として開発されたことで、世界中から観光客に訪れる南国リゾートとなっています。

 

このように、グアムは古代チャモロ時代から世界に翻弄されており、その影響を受けてスペインやアメリカ、フィリピン、日本など多彩な文化を取り込んだ多民族文化を形成しています。

グアムでチャモロ文化を体験できるスポットや食事など

今日でもグアム住民はチャモロ文化を大切にしており、観光産業にチャモロのエッセンスを加えて観光客にその魅力を感じてもらったり、チャモロ文化の教育や継承に力を入れていたりと、古代チャモロ時代から現在までグアムにはチャモロ文化が深く根付いています。

 

グアムに訪れるのであれば、ビーチやマリンスポーツだけでなく、伝統のチャモロ文化を体験してほしいもの。そこで、チャモロ文化と関わりの深いおすすめのスポットやイベントなどを紹介します。

チャモロ料理

チャモロ料理

 

グアムに旅行する方が、必ずといっていいほど食べる料理が「チャモロ料理」です。チャモロ料理は、古代チャモロ時代からルーツが受け継がれて進化してきた、グアムに伝わる伝統料理です。スペインやアメリカ、日本などの文化を吸収して、今日のチャモロ料理が形成されています。

 

古代チャモロ時代からチャモロ人は採集や栽培、狩猟を行っており、今のグアムでも漁業はもちろんのこと農業も比較的発達しています。火山性の豊かな土壌を活かし、ココナッツやサトウキビ、野菜、柑橘類などの農産物が栽培されています。

 

第二次世界大戦後、グアムが再びアメリカ領になってから、本土から大量の食品が流入します。こうした、食材の豊かさや食文化の経緯からグアムは食文化がハイレベルに発達しており、今やチャモロ料理はローカルや観光客に親しまれる料理です。

 

代表的なチャモロ料理といえば、アチョーテの実から絞り出された汁で炊き込まれた、赤色のお米の「レッドライス」です。グアムの食卓やフィエスタでも欠かせない、チャモロ料理の主食です。グアムのレストランでも広く提供されているので、観光客も気軽に食べることができます。

 

グアムのレッドライス

▲見た目は辛そうに見えるが、まったく辛くない。主食が米の日本人とも相性がよい料理

 

ほかにも、フィリピン風焼きそばの「パンシット」や、ココナッツや小麦を練られて作られたかりんとうのようなお菓子「グズリア」など、チャモロ料理には幅広いメニューがあります。食から気軽にチャモロ文化を体験できるので、グアム旅行の際は1度は食べてたいところです♪

 

参考:グアムのチャモロ料理とは?代表的な料理や人気レストランを紹介♪

フィエスタ

 

フィエスタとは、グアムの各村の守護聖人に対し住民が感謝やお祝いを捧げる、カトリック教の伝統行事です。グアムは19の村にわかれており、各村で決まった日にフィエスタが開催されています。スペイン統治時代に布教したカトリック教は、今もなおグアムに継承されています。

 

フィエスタでは、レッドライスやルンピア(フィリピン風春巻き)、チャモロBBQなどのチャモロ料理がビュッフェ形式で提供されます。

 

フィエスタはさながら地元の祭りといった様子ですが、外国人にウェルカムなグアムらしく、フィエスタは日本人観光客も参加できるイベントとなっています。本当のチャモロ文化を体験したい方は、ぜひ一度フィエスタに訪れてみてください。

 

参考:グアムの村祭り「フィエスタ」とは?実際に取材してきました

ラッテストーン公園

グアムのラッテストーン公園

 

現在、グアムでラッテストーンを見られる場所といえば、ハガニアにあるラッテストーン公園です。グアムのガイドブックで、必ずと言っていいほど掲載されている観光スポットです。

 

ラッテストーン公園には、高さ1.5~2メートル8基のラッテストーンが並んでいます。

 

公園に並んでいるラッテストーンは、元々ジャングル奥地にある、南部のフィナ湖に近い旧メポ村で発見されたものです。発見された当時も8基が並んで建てられており、ラッテストーン公園もそのまま再現しています。

 

ラッテストーン公園は、チャモロ人が古代チャモロ時代に作ったラッテストーンを、現代社会において間近で鑑賞できる貴重なスポットです。無料で入場・鑑賞することができ、チャモロ文化に触れるのであれば、ラッテストーン公園はぜひ訪れておきましょう。

 

営業時間24時間
住所FQC2+WPQ W O'Brien Dr Hagatna, 96910
料金無料

※2024年1月27日時点の情報です。最新の情報は公式HP等からご確認ください。

 

 

恋人岬

グアムの恋人岬からの景色

 

恋人岬はグアム屈指の景勝地で、海抜123メートルからは美しいタモン湾を望むことができます。恋人岬はその名の通り恋のパワースポットですが、実はスペイン統治時代にいた2人のチャモロ人による、悲しい愛の伝説が関係しています。

 

スペイン統治時代、父親がスペイン人貴族、母親がチャモロ族酋長の娘である、美しいチャモロの女性がいました。この家族は広大な土地をもっており、スペイン人・チャモロ人の両方から高く評価されていました。

 

父親は、この美しいチャモロの娘と、スペイン提督との結婚を考えます。それに取り乱した娘は、グアム北部の海岸まで逃亡します。そこで、つつましく、優しいチャモロ人の男性と出会い、恋に落ちました。

 

恋人岬のアマンテス像

▲2人のチャモロ人の像

 

父親は2人の恋愛を知ると激怒。別れるように要求しますが娘は拒み、その日の夕暮れ時に、同じ海岸の場所で恋に落ちたチャモロ人男性とこっそりと出会います。父親とスペイン提督、スペイン兵がこの2人を海岸の崖まで追い詰めます。

 

2人の恋人は長い髪をくくり、最後のキスをしたあと、ともに崖から海に飛び込んでしまいましたこの悲愛の伝説から、恋人岬は永遠の愛を象徴する場所であり、恋のパワースポットとして知られるようになっています。

 

営業時間10:00~19:00
住所Tumon Bay, Guam, USA
料金無料
(展望台の入場料は3ドル)

※2024年1月27日時点の情報です。最新の情報は公式HP等からご確認ください。

 

 

参考:恋人岬はグアム観光の定番!実際に行った筆者が魅力を紹介♪

まとめ:グアムではチャモロ文化を手軽に体験できる

4,000年以上前に住んでいた古代チャモロ人の時代から、スペイン・アメリカ・日本の侵略を経て、今のチャモロ文化があります。グアムは他国の文化の数々を吸収してできた多民族の特色をもつ地であり、それが今日グアムの方が外国に対して寛容になったと考えられます。

 

せっかくグアムに旅行するのであれば、現地の文化を身近に触れてみたいもの。ぜひ、チャモロ料理やラッテストーン公園など、グアムでチャモロ文化を体験してみてください。

 

グアム旅行者必見
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プロフィール写真(小川 遼)
執筆者

小川 遼

GLAMのトラベルライター。趣味は国内・海外旅行で、時には仕事をしながら旅行することも。国内・海外を問わず多くの旅先を訪れており、豊富な旅行経験をもつ。特にグアムには何度も渡航経験があり、現地のイベントやホテルなどを取材。グアムの魅力を細部まで知り尽くしている。現地での豊富な体験や取材を基に、旅行者に役立つグアムの魅力をお届けします。写真は、2024年にグアムのランニングイベント「ココロードレース2024」に参加した時のものです。

https://www.glam.jp/authors/ryo_ogawa/

GLAMのトラベルライター。趣味は国内・海外旅行で、時には仕事をしながら旅行することも。国内・海外を問わず多くの旅先を訪れており、豊富な旅行経験をもつ。特にグアムには何度も渡航経験があり、現地のイベントやホテルなどを取材。グアムの魅力を細部まで知り尽くしている。現地での豊富な体験や取材を基に、旅行者に役立つグアムの魅力をお届けします。写真は、2024年にグアムのランニングイベント「ココロードレース2024」に参加した時のものです。

https://www.glam.jp/authors/ryo_ogawa/
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