まだ人の少ない朝のプラハを訪れた者は、誰もが時代を錯覚する。なぜならそこには、千年変わらぬ姿を留める王の都が広がっているからだ。プラハは二度の大戦の戦火からも逃れ、資本主義経済の高度成長にも巻き込まれることはなかった。したがって、千年の歴史を持つ街並みは、奇跡的にそっくりそのまま現代に受け継がれてきたのである。
「百塔の街」、「黄金のプラハ」、「建築博物館」、「北のローマ」……プラハには様々な呼び名がある。それだけこの街には多様な魅力があり、訪れる人によって百人百様の感じ方があるからだ。あなたはプラハで何を感じるだろうか。いざ、千年の時空を超えてタイムスリップの旅へ。
プラハを貫く麗しいモルダウ川の流れは、何時の時代も変わらない。そして対岸に威容を誇る聖ヴィート教会とプラハ城は、歴代の王がそうしてきたように今でも高台から街を見守っている。
プラハ城内には「黄金の小路」と呼ばれる小路があり、かつては城に仕える侍者たちが住んでいた。また、当時密かに流行っていた錬金術に携わる職人たちの工房が並んでいたとも言われている。
「奇想の王」と呼ばれたルドルフ2世は、怪しげな占星術や錬金術に傾倒していた。錬金術は卑金属から金を造り出すことからして、魔術と並ぶ得体の知れないものだとされていた。ルドルフ2世は城に閉じこもり、夜な夜な錬金術に明け暮れていたという。
プラハを最も繁栄させチェコで一番人気があるのはカレル4世である。しかし、この街を「黄金のプラハ」と言わしめたのは奇人とされたルドルフ2世の時代だった。風変わりな王として知られる彼だが、天文学や錬金術、宇宙科学といった神秘性のある分野に対して並々ならぬ探究心をもっていた。そして実際に、当時のヨーロッパに重要な影響を及ぼしたのである。英雄カレル4世も素敵だが、私はこの不思議なベールに包まれたルドルフ2世の方が、プラハのイメージにしっくりくる気がする。
フランツ・カフカの生家が旧市街の広場からすぐのところにある。カフカは41年の短い生涯のうち39年をここプラハの旧市街で過ごした。無名のうちに世を去った小説家は、プラハの街を散歩するのが日課だったという。
光と影の具合で全く違った表情を見せるミステリアスなプラハの街を歩き回り、カフカは小説の構想を練っていた。この街を歩く時は、長身で手足がひょろ長いカフカの幻影を見た気になる。
プラハの夕景は別格である。とりわけ、カレル橋に並ぶ聖人像、高台にあるプラハ城のシルエットは見る者に感動を与えるばかりでなく、千年続く王国のプライドを見せつけられている気にさえなる。
辺りを闇が包んでからも、街は魅力を放ち続ける。柔らかなガス灯の光に包まれる夢のようなプラハの夜。
「百塔の街」、「黄金のプラハ」……さて、あなたにとってプラハとは、どのような街であっただろうか。